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住吉具慶

住吉具慶

すみよしぐけいSumiyoshi Gukei
2 Artworks

10メートルを超える絵巻で、京の町の賑わいは、茄子が実り柿が熟す郊外の田園へ移っていく。住吉具慶の代表作《洛中洛外図巻》である。具慶は、大和絵の画家として初めて江戸幕府に召し抱えられた。

寛永8年(1631年)、具慶は住吉如慶の長男として京都に生まれた。土佐派に学んだ父は、寛文2年(1662年)、後西天皇の命を受け、途絶えていた鎌倉時代の絵師・住吉慶忍の画系を復興するために住吉の姓を名のった。これが住吉派の始まりで、具慶は二代目にあたる。

京都で宮中の仕事に携わる一方、具慶は古い絵巻をいくつも写した。平安時代の《年中行事絵巻》は、江戸初期の内裏の火事で原本が焼けた。焼失前に如慶・具慶父子らが写したとされる模本などによって、図様は今も3分の1ほどがしのばれる。如慶が手がけた《東照宮縁起絵巻》を、父の没後に仕上げたのも具慶だ。

延宝6年(1678年)の《徒然草画帖》は、「徒然草」から選んだ50の章段を、詞と絵で見開きに貼り込んだ画帖である。公家の孫娘が越前松平家に嫁ぐ際の道具として作られたと指摘されている。「徒然草」を題材にした絵はほかにもあり、一枚の徒然草図が残る。

具慶は天和3年(1683年)に江戸へ召し出され、貞享2年(1685年)には幕府の奥絵師となった。当時、幕府に仕えた狩野派は中国風の画法を取り入れていた。その江戸に日本の伝統を受け継ぐ大和絵の画派が根づき、住吉派は京都の土佐派と並び称されるようになる。

《洛中洛外図巻》は、近世初期の洛中洛外図屏風とは対照的に、比較的低い視点から人々の仕事や暮らしを描く。明治34年(1901年)の『真美大観』は、図巻の筆づかいと彩色を古い土佐派の名家に並ぶと称賛した。一方で、人物の顔かたちはほとんど「千篇一律」で、変化に乏しいきらいがあるとも評している。同書は、従兄とする土佐派の土佐光起が狩野派などの画法を取り入れて時代の好みに応えようとしたのに対し、具慶は古い土佐派の気品を取り戻そうとした、と記した。

いまの見方は違う。『日本大百科全書』は、具慶の描く人物は父より表情が誇張され、その現実感のある描写が《洛中洛外図巻》などに生かされているとする。

大正5年(1916年)の図録には、尾形光琳が具慶にも絵を学んだという話が載る。具慶は宝永2年(1705年)に江戸で没した。子の広保、孫の広守が幕府の御用絵師を継ぎ、住吉家は幕末・明治まで続いた。

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