期間限定 手数料割引中 出品者3% 購入者1%
岡田三郎助

岡田三郎助

おかださぶろうすけSaburosuke Okada
6 Artworks

古びた絹に手を通す。岡田三郎助が女性像を描くとき、まずモデルに着せたのは、彼自身が集めた時代裂の衣装だった。生涯で九百点あまりを蒐めたという古裂の、褪せた藍やくすんだ金泥。その布地のひだと光沢を、うなじの陰翳ごとたどっていくのが、この画家のやり方だった。あやめの衣では菖蒲を染め出した衣がモデルの肩から流れ落ち、布そのものが主役のように画面を占める。1970年、この一枚は切手趣味週間の記念切手に選ばれ、いまはポーラ美術館にある。

1869年、佐賀藩士の三男に生まれ、のちに岡田家の養子となった。麹町の鍋島侯邸で百武兼行の油彩を目にしたのが洋画への入口で、曽山幸彦の画塾に学び、師の没後は大幸館で堀江正章の指導を受ける。卒業制作矢調べは弓を構える女を描いた早熟な一作で、いまは重要文化財として佐賀県立美術館に収まっている。

1896年、黒田清輝・久米桂一郎らとともに白馬会の創立に加わり、明るい外光をとりこむ油彩の側へ身を置いた。翌年には第1回文部省留学生としてフランスへ渡り、柔らかな光と甘い色調で人気を集めたラファエル・コランに師事する。帰国後は東京美術学校教授として教壇に立ち、1912年には藤島武二と本郷洋画研究所を興し、女子洋画研究所も開いて多くの門下を育てた。

1906年、小説家で劇作家の小山内八千代を妻に迎える。彼女は幾度も夫の絵のモデルになった。《支那絹の前》に座す女も八千代で、コラン譲りの外光と和の情趣が、絹の一枚のうえで静かに溶け合っている。1934年に帝室技芸員、1937年には第1回文化勲章を洋画家として受け、1939年に没した。東京・駒込に遺したアトリエは、2018年に国の登録有形文化財として公開されている。

Own a work by Saburosuke Okada?

List it for sale on Cugira.

List a work
6 works