
レンブラント・ファン・レイン
ライデンの粉屋の息子が、光と影だけで人間の内面を描き切る画家になった。若くしてライデン大学に籍を置くも学業には向かず、地元の画家に手ほどきを受けたのちアムステルダムで ピーテル・ラストマン のもとに学ぶ。歴史画の物語性と劇的な明暗を吸収し、20代半ばには早くも独自の様式で注目を集めた。
1632年のテュルプ博士の解剖学講義で肖像画家としての地位を確立し、裕福な商人の娘サスキアと結婚。アムステルダムの大きな家を購入し、絵画だけでなく古美術や骨董の蒐集にのめり込む生活が始まる。同じ頃から量産した自画像は生涯で百点近くにのぼり、若さの誇示から老いの直視まで、画家自身の顔が画業の年輪そのものになった。
1642年、市民隊の集団肖像画としては型破りな構図と光の演出で描いた夜警を完成させたその年、妻サスキアが病没する。以後の作風は華やかさを離れ、絵具を厚く塗り重ねる荒々しい筆致と、心の襞にまで踏み込む深い陰影へと沈んでいく。浪費癖と美術品収集が財政を圧迫し、1656年には破産宣告を受けて邸宅も所蔵品も手放す羽目になった。それでも制作の手を止めることはなく、家政婦だったヘンドリッキェとの間に娘をもうけ、晩年は借家住まいのまま放蕩息子の帰還のような、赦しと和解を静かに見つめる大作を残している。
油彩だけでなく銅版画でも並外れた探究心を見せ、素描と併せて数百点の版画作品が現存する。フェルディナント・ボル や ホファールト・フリンク、カレル・ファブリティウスら多くの弟子を育て、オランダ絵画の黄金時代を牽引した。技法上の成功よりも人間そのものへの執着が終生変わらず、その視線の深さが没後何世紀を経てもなお色褪せない理由である。
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