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中島来章

なかじまらいしょうNakajima Raisho
5 Artworks

中島来章は、鯉と鶉を得意とし、京都で「平安四名家」に数えられた円山派の絵師である。晩年のヤガラの図には、75歳の翁を意味する「七十五叟」と書き添えた。

寛政8年(1796年)、近江に生まれた。初めに学んだ渡辺南岳は、円山応挙の高弟だった。のちに、応挙の長男で円山派の2代目を継いだ円山応瑞の門に入る。応挙の絵を受け継ぐ二人に学び、花鳥だけでなく、山水や人物も手がけた。

若い来章の足跡は、大津の俳句仲間の間に残っている。文化11年(1814年)から文政6年(1823年)まで大津に住み、芭蕉の墓がある義仲寺の「時雨会」に列席した。芭蕉の忌日に開かれる句会で、来章自身の句も、大津俳壇の重鎮たちとともに句集に収められている。

俳句の仲間との交わりは、絵の仕事にもつながった。大津の旧家に伝わった絵入りの俳諧摺物281枚のうち、来章が下絵を描いたものは40枚。絵師別では最も多い。注文したのは、句会を主宰する有力な俳人たちだった。大津市歴史博物館の横谷賢一郎は、俳壇と交わりながらも写生画の作風を保った来章の仕事に注目している。

Tea Ceremonyは、その仕事の一つである。茶の湯の場面とともに30句が刷られ、句中の干支から文政7年(1824年)の作とされる。大津で暮らした翌年にあたる。Sparrows amid Ripe Riceには、秋を詠んだ37句がある。掛幅や屏風を描く筆は、句を交わすための一枚の紙にも求められた。

京都では、安政度の御所造営に伴う障壁画制作にも参加した。『平安画家評判記』には「御老年に似合わぬ感心感心」とある。年を重ねても出来が変わらず、優しく美しい絵だという評判だった。得意の鯉を描いた竜門之瀧図も晩年の作で、没する3年前に描かれた。滝を跳び越えた鯉は竜になるという、中国の伝説に基づく画題である。

門人の川端玉章は11歳で来章に入門し、のちに東京美術学校の教授となった。幸野楳嶺は約20年にわたって学び、その門からは竹内栖鳳らが出た。来章は明治4年(1871年)、76歳で没した。冒頭の「七十五叟」と記したヤガラの図は、その前年に描かれている。

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