
メアリー・カサット
ピッツバーグ近郊の裕福な家に生まれ、鉄道王を兄に持つ令嬢が、パリで絵筆一本の人生を選んだ。両親は当初この道楽を快く思わなかったが、カサットは折れなかった。ペンシルベニア美術アカデミーで学んだのち渡欧し、ルーヴルで巨匠たちの模写に明け暮れる日々を経て、1874年からパリに定住する。サロンにも出品していたが、審査員の顔色をうかがう保守的な画壇に飽き足らずにいたところへ声をかけたのがエドガー・ドガだった。「ようやく、私と同じように感じて描く人間に出会えた」とドガは言い、カサットは1879年から印象派展に加わる唯一のアメリカ人となる。
彼女が生涯こだわり続けたのは、母と子、あるいは女性がひとりで新聞を読み劇場の桟敷に座る、そんな何でもない瞬間だった。当時「母性」は甘い理想化の対象でしかなかったが、カサットの母子像には湯上がりの子の重たい体や、あくびをこらえる横顔といった生々しい実感がある。1890年、パリで大規模な浮世絵展を見たことが転機になった。喜多川歌麿らの大胆な構図と平面的な色面に打たれ、代表作沐浴する女をはじめとする一連のカラー・ドライポイントを制作、平坦な色面と輪郭線の効いた独自の版画様式を確立した。油彩の代表作にはボート遊び桟敷席にてなどがある。
生涯独身を貫き、絵を描く一方でアメリカの富裕な友人たちに印象派の魅力を説いて回った人でもあった。彼女の助言でハブマイヤー夫妻らが買い集めた作品群は、のちにメトロポリタン美術館などアメリカの美術館コレクションの核となっている。晩年は白内障により視力を失い、1910年代半ばで筆を置いた。1926年、パリ郊外のボーフレーヌ城で没した。
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