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オーブリー・ビアズリー

オーブリー・ビアズリー

Aubrey Beardsley
13 Artworks

活動期間は1891年から1898年まで、7年に満たない。その間にオーブリー・ビアズリーは、黒いインクの線と面だけで、19世紀末のイギリスで最も名の知られた挿絵画家になった。

保険会社の事務員だった1891年、ホイッスラーが手がけたレイランド邸の「孔雀の間」を見て、日本美術に惹かれた。同じ年にバーン=ジョーンズに作品を見せ、ウェストミンスター美術学校に通うよう勧められている。1892年秋、出版社のJ・M・デントからマロリー『アーサー王の死』の挿絵を任された。モリスのケルムスコット・プレスにならった豪華本の企画で、この画料で勤めを辞めた。

1893年4月、美術誌『ザ・スタジオ』の創刊号が、ジョゼフ・ペネルの「新しい挿絵画家」という記事でビアズリーを紹介した。写真製版の線画凸版なら、細い線と広い黒面をそのまま刷れることを示す記事でもあった。フランス語で書かれたワイルドの戯曲『サロメ』に寄せた一枚がワイルドの目に留まり、1894年の英訳版の挿絵を任される。同じ年に季刊誌『イエロー・ブック』の美術編集者になったが、1895年4月にワイルドが逮捕されると、その余波で職を追われた。

その後は出版者のレナード・スミザーズと組み、雑誌『サヴォイ』を始めた。ポープ『髪盗人』では18世紀フランスの銅版画にならった細密な画風を、アリストファネス『リュシストラテ』では古代ギリシアの壺絵にならった簡潔な線を試している。病は進み、1897年にカトリックに改宗して南仏マントンへ移り、ベン・ジョンソン『ヴォルポーネ』の挿絵に取りかかった。1898年3月7日、スミザーズに手紙で『リュシストラテ』とすべての猥褻な絵を処分するよう頼み、9日後に25歳で没した。スミザーズはこの頼みを聞かなかった。

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