
アントン・ラファエル・メングス
父の名はイスマエル・メングス、ドレスデン宮廷の細密画家である。息子に「ラファエロのように描け」という願いを込めて名付けたというから、この子の人生は生まれた瞬間から決められていたようなものだった。実際、少年時代のメングスは絵筆を握らされ、ローマへ連れて行かれ、システィーナ礼拝堂の前で模写をさせられる日々を送っている。遊びは許されなかったと伝わる。厳格すぎる英才教育だが、その甲斐あって彼は驚くほど早く、古典の理想的な形態を自分の手の内に収めてしまった。
転機はローマで出会った考古学者ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンだった。古代ギリシャ彫刻を「高貴な単純さと静かな偉大さ」と讃えたヴィンケルマンの理念に共鳴し、メングスはその絵画版を体現する画家になろうとする。1761年、ローマのアルバーニ荘の天井に描いたパルナッソスは、その宣言そのものだった。渦巻く雲も劇的な陰影もない。神々は舞台の上に整然と並び、輪郭は磨き上げたように滑らかで、色彩は抑制されている。当時なお主流だったバロックの熱狂に対する、静かだが決定的な反旗だった。この一枚をもってヨーロッパの絵画は新古典主義へと舵を切ったと言われる。
肖像画家としても引く手あまたで、ザクセン選帝侯やスペイン王カルロス3世の宮廷画家を務め、教皇クレメンス13世の肖像も手がけた。マドリードの王宮では、あのティエポロと同じ屋根の下で天井画を競うという奇妙な巡り合わせもあった。片やロココの華やぎを最後まで貫いたヴェネツィア人、片や理知と規範を信じたドイツ人。二人の対比は、時代が入れ替わる瞬間そのものを見せてくれる。
著書『絵画における美と趣味についての考察』は各国語に訳され、のちのアカデミー教育の理論的支柱となった。1779年、ローマで没するが、彼が敷いた「理想の形態に還れ」という道は、ジャック=ルイ・ダヴィッドらへと確かに受け継がれていく。
Own a work by Anton Raphael Mengs?
List it for sale on Cugira.















