ア
アメデオ・オザンファン
Amédée Ozenfant
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パリの画壇がキュビスムの分解に酔いしれていた頃、オザンファンは冷めた目でそれを見ていた。1918年、若き建築家ル・コルビュジエと共著で発表した『キュビスム以後』は、断片化と装飾に流れがちだった当時の絵画への異議申し立てだった。二人が唱えたのが「ピュリスム(純粋主義)」――瓶やグラス、ギター、パイプといった日用の器物を、幾何学的な明晰さと静かな秩序のもとに再構成する画風である。感情のほとばしりや即興性を排し、機械時代にふさわしい普遍的な造形言語を探る態度は、同じ頃コルビュジエが建築で追求していたものと響き合っていた。二人で刊行した雑誌『レスプリ・ヌーヴォー』は、絵画・建築・デザインを横断する批評の場となり、フェルナン・レジェらとも交差しながら1920年代のモダニズムの一角を形づくった。オザンファン自身の《静物》の連作は、輪郭を研ぎ澄まし、色面を積層させ、対象を建築の設計図のように配置する。1930年代にパリを離れてロンドン、さらに戦火を逃れてニューヨークへ渡ると、自ら美術学校を開いて後進の指導にあたった。画家としてよりもむしろ、理論家・教育者としてモダニズムの一時代を支えた人物であり、その禁欲的な画面は後の抽象絵画やインダストリアルデザインの感覚にも静かな痕跡を残している。晩年はカンヌで過ごし、1966年に没した。
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