
パブロ・ピカソ
パブロ・ピカソ(1881〜1973)はスペイン南部マラガの生まれ。父ホセ・ルイス・ブラスコは美術学校で素描を教える人で、幼いピカソに鳩や石膏像の写生を仕込んだ。だがこの息子はまもなく父の手を離れ、10代でバルセロナ、マドリードの美術学校をあっさり通り抜けてしまう。特定の師につくというより、目に入るものすべてを片端から吸収していくタイプの画家だった。
20代初め、パリに出たばかりの頃の絵は青一色に沈んでいる。痩せた物乞い、盲人、寄り添う母子——友人カサヘマスの自殺を境に画面から色が抜け落ちたと言われる、いわゆる青の時代だ。それが1904年を過ぎる頃には一転、サーカスの軽業師や道化師を描くバラ色の時代に変わる。色も主題も、心の振れ幅そのままに移り変わっていった。
その振れ幅が一気に爆発したのが1907年の《アヴィニョンの娘たち》だ。五人の女の顔と体は正面と横顔が同じ画面に同居し、右側の二人はアフリカの仮面のような荒々しい造形に崩れている。ルネサンス以来の遠近法もお構いなしのこの一枚を起点に、ジョルジュ・ブラックと組んで対象を面へと切り刻み、複数の視点から見た形を一つのカンバスに詰め込むキュビスムが生まれた。二人はしばらく互いの絵の見分けがつかなくなるほど接近して制作したという。
その後もピカソは新古典主義風の量感ある人物画、シュルレアリスムに触れて歪んだ肖像へと次々に様式を替え、油彩だけでなく彫刻、版画、陶芸にまで手を広げていく。頂点にあるのが1937年の《ゲルニカ》だろう。灰・黒・白だけの画面に、嘶く馬、崩れ落ちる兵士、天井から吊るされた裸電球がひしめき、スペイン内戦下の空爆を受けた小さな町の悲鳴を刻みつけた。20世紀を代表する反戦の絵として、今もマドリードのソフィア王妃芸術センターで見る者を立ち尽くさせる。南仏ムージャンで91歳で世を去るまで、その手が止まることはなかった。
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