大蝦蟇に乗っているのは天竺徳兵衛。歌舞伎や浄瑠璃に出てくる謀反人で、蝦蟇の妖術を使って日本をひっくり返そうとする。この絵を描いたのは歌川国芳で、20代の終わりから30代のはじめにかけての作になる。
江戸の芝居と読みものには、蝦蟇を操る者がくり返し現れる。天竺徳兵衛のほかにも、平将門の遺児がいて、児雷也がいる。
なぜ、蝦蟇なのか。
兎を投げ飛ばす蛙
蛙そのものは、ずっと古くから日本の絵にいた。
京都の高山寺に伝わる国宝《鳥獣人物戯画》の甲巻で、蛙が兎と相撲をとっている。12世紀、平安時代の終わりごろに描かれたと見られ、作者はわかっていない。
甲巻だけで長さは11メートルを超える。その中で兎や猿や蛙が、人間のように水遊びをし、追いかけっこをし、法会を営む。
絵巻にふつう付く詞書は無い。人間を諷刺したとみる説、年中行事を戯画にしたとみる説などがあり、何を描いたのかはいまも定まっていない。
法会の場面では、袈裟を掛けた猿が経を読み、その前で蛙が本尊の仏に扮して座っている。
なぜ蛙が仏なのか。古典文学の研究者、今村みゑ子は、蛙の水かきに理由を見ている。仏の体に備わるという三十二の特徴の一つに、手足の指のあいだに薄い膜がある「手足指縵網相」があり、蛙の水かきはそれに似ている。今村の言葉を借りれば、「蛙にしか演じることのできない、蛙にふさわしい役」である。
ここにいる蛙は、人のまねをして遊んでいるだけで、妖術の気配はない。
仙人の肩にのる白い蝦蟇
中国では、蝦蟇を連れた仙人が語り伝えられていた。蝦蟇仙人である。五代の劉海蟾らをもとにした仙人で、髪は伸び放題、はだしで三本足の蛙をもてあそんだという。
門に貼る中国の版画「劉海戯金蟾」にも、三本足の蝦蟇が描かれる。月に住む霊物で、手にすると富むといわれる蝦蟇である。
京都の知恩寺に、《蝦蟇鉄拐図》という二幅対が伝わる。その片方で、岩に腰かけた蝦蟇仙人が桃の枝を手に、歯を見せて笑う。肩には白く大きな蝦蟇がしがみついている。
桃は、不老長寿のしるしである。
もう片方の幅は鉄拐仙人で、ちょうど口から魂を吹き出したところを描く。抜けがらになった体は、もう死の色を帯びている。
この二幅は室町時代のはじめに中国から日本へ渡り、画僧たちの手本になった。
仙術が「邪宗」に変わる
享保4年(1719年)11月、大坂の竹本座で、近松門左衛門の浄瑠璃『傾城島原蛙合戦』が初演された。
島原の乱を下敷きにした作である。キリシタンを正面から舞台にのせることは許されず、乱の話は「天草軍記物」として、わずかに演じられるだけだった。天草四郎にあたる役は、七草四郎という。
この七草四郎が、蛙の妖術を使う。劇中では、その術がこう語られる。
蛙は即ち蝦蟇仙人が仙術、不思議自在の奇特を顕はし衆生を迷はす。道に似て道にあらず。儒には是等を異端と嫌ひ、仏家には邪宗と破す。
中国で長寿や富と結びついていた仙人の術が、ここでは異端と邪宗の術にされている。
蛙にまつわる言い伝えも、次々に不吉な方へ使われる。蛙が群れて争う「蛙合戦」は、『続日本紀』以来たびたび書き留められてきた。劇はそれを、飛鳥時代に蝦夷が謀反を起こした前ぶれとして持ち出す。
四段目で、四郎の蛙は、江ノ島弁財天の注連縄から現れた黄色い蛇に呑まれる。
国文学者の高木元は、この劇で蛇が正、蛙が邪の側に振り分けられていることに目を留め、こう書いている。「中国の蝦蟇仙人は日本で文芸化された途端に、得体の知れない妖術使いの謀反人として形象化されてしまったのである」。
天竺帰りの船頭
天竺徳兵衛は、実在した人である。播州高砂の船頭で、寛永年間に御朱印船で2度インドへ渡った。晩年、若い日の渡海の記録を長崎奉行所に差し出している。
鎖国の前に異国を見てきた男は、芝居の中で、蝦蟇の妖術で日本の転覆をたくらむ謀反人になった。宝暦13年(1763年)に竹本座で初演された浄瑠璃『天竺徳兵衛郷鏡』も、天草軍記物の流れをくむ作とされる。
これをもとに書かれ、大当たりをとったのが、文化元年(1804年)7月に江戸の河原崎座で幕を開けた歌舞伎『天竺徳兵衛韓噺』である。本物の水を使った水中の早替り、見世物のような大蝦蟇、舞台の家を崩してみせる屋体崩しが評判を呼んだ。
徳兵衛は「デイデイ、ハライソハライソ」と呪文を唱える。隠れキリシタンの祈りの言葉で、ハライソは天国を指す。水中の早替りは切支丹の妖術ではないかと噂され、芝居は2カ月を超えるロングランになった。
異国の呪文を唱えて妖術を使う反逆者に、高木は天草四郎の幻影を見ている。
妖術の敵は、ここでも蛇である。徳兵衛の術は、巳年巳月巳日巳刻に生まれた女の生き血で破られる。
水中の早替りは、三代目尾上菊五郎に受け継がれた。明治に入ってからは、尾上菊五郎家の芸として『音菊天竺徳兵衛』の題で上演されている。
この三枚続は明治24年(1891年)6月に出たもので、徳兵衛に扮しているのは五代目尾上菊五郎である。
筑波山の蝦蟇仙人
小説にも、蝦蟇は入り込んだ。文化3年(1806年)に出た読本『善知安方忠義伝』では、平将門の遺児・良門が筑波山で「肉芝仙」という蝦蟇仙人に出会う。
良門はそこで自分が将門の子だと知らされ、蝦蟇の妖術を授かる。そして父の仇を討ち、天下を奪おうと企てる。姉もこの術に引き込まれ、滝夜叉姫と名乗る。
国芳は弘化2年(1845年)、この話を三枚続にした。右端の蝦蟇仙人が吐いている白い帯は息で、その息で女の姿を呼び出している。
蛙の吐く息については、近松の浄瑠璃にもこんな一節があった。「陰陽家には仙宮の蛙、息を吐いて虹と成ると沙汰せり」。
児雷也と三すくみ
同じ文化3年に、読本『自来也説話』が出ている。「自来也」の名が出てくる最初の作品で、宋の書物に見える「我来也」という盗賊の話がもとになっている。
これを大きく作りかえたのが『児雷也豪傑譚』である。どのページにも絵が入る「合巻」という読みもので、天保10年(1839年)から慶応4年(1868年)まで出続けた。作者4人と絵師7人が書き継いで43編172冊に達し、それでも完結しなかった。
主人公の児雷也は義賊で、蝦蟇の術を仙素道人という仙人から授かる。仙素道人は、のちに敵の蛇と戦って命を落とす。
はじめのうち、児雷也は三代目尾上菊五郎の似顔で描かれた。天竺徳兵衛の早替りを受け継いだ、あの菊五郎である。
嘉永3年(1850年)に出た12編から14編で、三すくみが持ち込まれる。蝦蟇の術を使う児雷也、大蛇の子の大蛇丸、蛞蝓の術を使う綱手の三人である。
三すくみの考え方は、中国から来た。宋代の類書『事文類聚』には、蝦蟇とむかでと蛇の三つが動けなくなる話が載っている。日本ではむかでが蛞蝓に替わり、江戸では蛇と蛙と蛞蝓の勝ち負けで遊ぶ「虫拳」がはやった。
高木元は、この合巻についてこう言い切る。「我々が持っている大蛇丸と対抗し、蛞蝓の仙術を使う綱手を妻とし、蝦蟇の妖術を使うという児雷也のイメージは、この合巻が創出したものである」。
三すくみが持ち込まれて2年後の嘉永5年(1852年)7月、河原崎座で歌舞伎『児雷也豪傑譚話』が初演される。三すくみの見得と、鷲に乗って逃れる幕切れが名場面として知られる。
安政2年(1855年)5月には、同じ河原崎座で後編がかかった。その舞台を描いた三枚続を出したのは、合巻と同じ版元の和泉屋市兵衛である。
暁斎の蛙
国芳は、動物に人のまねをさせる絵も多く描いた。弟子の河鍋暁斎も、その道を歩いている。
暁斎は数え7歳で国芳に入門し、のちに狩野派でも学んだ。はじめて描いた絵は蛙だったと伝わり、作品にも蛙が多い。
文久4年(1864年)2月に出た三枚続《風流蛙大合戦之図》では、蛙の軍勢どうしが戦う。水鉄砲を構えた側は、長州への出兵を前にした幕府を表している。
明治に入ると、暁斎は蛙を人力車に乗せた。
この掛幅の蛙は、人力車を引き、郵便を届けている。人力車は明治3年(1870年)に東京で開業し、6年後には東京だけで2万台を超えた。官営の郵便が東京と大阪のあいだで始まったのは、明治4年(1871年)である。
暁斎は明治22年(1889年)に世を去った。東京・谷中の瑞輪寺の塔頭、正行院にある墓は自然石を重ねたもので、いちばん上の石は蛙をかたどっている。
仙素道人の名
児雷也が忍術使いとして描かれるようになったのは、大正10年(1921年)の映画『豪傑児雷也』からと考えられている。
漫画『NARUTO-ナルト-』の自来也・大蛇丸・綱手は、『児雷也豪傑譚』の三人がモチーフとされる。蝦蟇を操る忍者の自来也は、初めて登場する場面で「仙素道人」を名乗る。江戸の合巻で、児雷也に蝦蟇の術を授けた仙人の名である。

歌川国芳
Utagawa Kuniyoshi
1798–1861

河鍋暁斎
Kawanabe Kyosai
1831–1889
出典
- 高木元「戯作者たちの〈蝦蟇〉−江戸読本の方法−」『江戸読本の研究』ぺりかん社、1995年
- 高山寺の《鳥獣人物戯画》の解説
- 今村みゑ子「『鳥獣戯画』甲巻の解釈と鑑賞――戯画の重層性――」東京工芸大学、2013年
- 京都国立博物館の《蝦蟇鉄拐図》の名品解説
- 『日本大百科全書』「蝦蟇鉄拐」(永井信一)、「人力車」(天野武)
- 印刷博物館のコレクション解説(三本足の蝦蟇)
- 国立劇場 文化デジタルライブラリー「歌舞伎・鶴屋南北」
- 『世界大百科事典』「切支丹物」、「児雷也豪傑譚話」(小池章太郎)
- NARUTO公式サイトのコラム「江戸時代の伝奇的小説『児雷也豪傑譚』と『NARUTO-ナルト-』の共通点を研究者に聞いたら、想像以上につながりを感じた」2024年(山下則子・日野原健司)
- ボストン美術館、チェルヌスキ美術館、フッド美術館の作品解説
- 台東区と蕨市の河鍋暁斎の解説
- 日本郵政の沿革
注
- 蝦蟇の文芸史と『傾城島原蛙合戦』の引用は、高木元の論文による。
- 『児雷也豪傑譚』の規模、仙素道人、似顔、三すくみの由来、映画での忍術使いへの変化は、NARUTO公式サイトのコラムでの山下則子・日野原健司両氏の話を参照した。
- 国芳と暁斎の動物の戯画、《風流蛙大合戦之図》の読みはボストン美術館、《蛙の人力車と郵便夫》はチェルヌスキ美術館の作品解説による。
- 国芳の三枚続で蝦蟇仙人が息から女を呼び出していることは、フッド美術館の作品解説による。
- 作品の年と寸法は、ボストン美術館、フッド美術館、チェルヌスキ美術館、京都国立博物館の記録に従った。
Images
- 歌川国芳《Tenjiku Tokubei》 — Public domain / Wikimedia CommonsSource
- 顔輝《蝦蟇鉄拐図(蝦蟇仙人)》 — Public domain / 知恩寺(京都)蔵、重要文化財Source
- 豊原国周《五代目尾上菊五郎の天竺徳兵衛》 — Public domain / Wikimedia CommonsSource
- 歌川国芳《Gama Sennin, the Toad Spirit, Teaching Yoshikado and his sister Takiyasha the Arts of Magic》 — Public domain / Wikimedia Commons, Hood Museum of Art, Dartmouth CollegeSource
- 歌川国貞(三代目歌川豊国)《Actors Kawarazaki Gonjûrô I as Jiraiya (R), Arashi Kichisaburô III as Orochimaru (C), and Bandô Takesaburô I as Tsunade (L)》 — Public domain / Wikimedia CommonsSource
