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円山応挙柳に水上月図屏風
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左右一組として伝わる屏風なのに、描かれた年は19年離れている。写生を重んじて円山派を開いた円山応挙の作で、右の芦雁図屏風は42歳、左のこの屏風は61歳、世を去る2年前の筆だ。
年を確かめる手がかりは、それぞれの落款にある。左の屏風には「癸丑仲秋冩 應擧」とあり、寛政5年(1793年)の仲秋、陰暦8月に描いたと分かる。右の屏風は安永3年(1774年)の季冬、陰暦12月の作だ。安永年間は、応挙が最も充実した時代とされる。なぜ制作年がこれほど隔たっているのか、所蔵するメトロポリタン美術館も、理由は謎のままだとしている。
年は離れていても、二つの屏風はどちらも視点が低く、芦や柳が見る人のすぐ近くにある。そのぶん、背後には深い奥行きが感じられる。この屏風では、題に「水上月」とあるとおり、月は空にはなく、水面の映りとしてだけ描かれる。中ほどに並ぶ白い形がその映りで、ゆるやかな波に乱されて砕けている。
- Genre
- Japanese & Asian
- Work Type
- Painting
- Technique
- 紙本金地着色・六曲一双のうち左隻
- Year Created
- 1793
- Dimensions
- 153.9 × 354.4 cm
Artist profile

円山応挙
丹波国穴太村、貧しい農家の生まれ。少年の頃に京へ出て、狩野派の石田幽汀に絵を学んだが、応挙を後の応挙たらしめたのは狩野派の型ではなく、玩具商で扱っていた「眼鏡絵」の仕事だった。西洋の透視図法を使い、覗き眼鏡で覗くと奥行きが浮かび上がる細密な風景画。これを量産するうちに、応挙は物を型で描くのではなく、目に見えたとおりに描くという発想を体に叩き込んでいく。
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