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河鍋暁斎Crow and Willow Tree
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明治14年(1881年)の内国勧業博覧会で、河鍋暁斎は鴉一羽の墨画に100円の値をつけた。当時、100円の絵はほとんどなく、同じ博覧会で破格の高値とされた絵でも20円だった。それでも鴉は定価で買われ、暁斎は「鴉の暁斎」と呼ばれるようになり、鴉の絵の注文が殺到したという。
《柳に鴉図》は、その暁斎が100図からなる画帖のために描いた37図のうちの一枚だ。絵に記された「明治二十年亥十一月」は、画帖に残る日付のなかで最も早い。
暁斎はこの絵を描いた2年後に世を去った。暁斎に絵を習っていた英国人フランシス・ブリンクリーが、ほかの画家の絵も合わせて画帖を100図にまとめたとみられる。新婚旅行で日本に来ていたアメリカの実業家チャールズ・スチュワート・スミスがブリンクリーから画帖を買い、1914年にスミスの遺族がメトロポリタン美術館へ寄贈した。
- Genre
- Japanese & Asian
- Work Type
- Painting
- Technique
- 絹本着色/画帖
- Year Created
- 1887
- Dimensions
- 36.2 × 26.7 cm
Artist profile

河鍋暁斎
明治の東京で、筆の速さと引き出しの多さで暁斎に並ぶ絵師はいなかった。河鍋暁斎(1831〜1889)は下総古河に生まれ、数え七歳で歌川国芳の門を叩く。神田川で拾った生首を写生して周囲を仰天させた少年の逸話は、この絵師の本質——見たものは何でも描く——へ真っ直ぐつながっている。十歳で駿河台狩野派に移ると、師の前村洞和は彼を「画鬼」と呼んだ。
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