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マサッチオ
27歳で死んだ画家が、その後何百年もの絵画の教科書になった。ヴァルダルノの小さな町に生まれたトンマーゾ・カッサイは、フィレンツェで「マサッチオ」——だらしない大男、というような綽名で呼ばれた身なりに構わぬ青年だった。だが筆を握れば別人で、フィレンツェの画家たちが誰も見たことのない絵を描いた。 サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の壁に描いた《聖三位一体》は、見る者を驚かせた絵画史上の事件だった。ブルネレスキが理論化したばかりの線遠近法を使い、壁の平面を貫通して奥行きのある礼拝堂がそこにあるかのように描いてみせたのだ。光は一方向から差し、人物には重みと量感があり、影は落ちるべき場所に正しく落ちる。中世このかたの平板な聖人像とは根本から違う絵がそこに現れた。 もう一つの主戦場、ブランカッチ礼拝堂の壁画では、兄弟子格のマゾリーノと分担しながら《貢の銭》や《楽園追放》を描いた。裸で泣きながら楽園を追われるアダムとエヴァの姿は、恥と絶望がそのまま身体の震えになって表れていて、寓意でも装飾でもない、生きた人間の悲劇として突きつけてくる。ジョットが切り開いた写実の道を、ドナテッロの彫刻的な人体把握と結びつけ、一気に百年先まで進めてしまったような仕事だった。 制作の途中でローマに呼ばれ、そこで急死する。毒殺の噂も絶えないが真相はわからない。短い活動期間で残した作品はわずかだが、のちにブランカッチ礼拝堂へ写生に通った若きミケランジェロをはじめ、フィレンツェで絵を学ぶ者は皆この壁の前に立たされることになった。ルネサンス絵画は、ここから本当に始まったと言っていい。
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