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楊斎延一Great Victory of Our Forces at the Battle of Pyongyang (Heijo gekisen waga gun taisho no zu)
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楊斎延一は、日清戦争で最初の大規模な陸戦となった平壌の戦いを、三枚の版画を横につないだ絵に描いた。画中の題は「平壌激戦我軍大捷之図」と読める。
明治27年(1894年)9月15日未明、日本軍は平壌に集まる清国軍への総攻撃を始めた。同日夕刻、清国軍は降伏を申し出て城を脱け出し、翌日未明にかけて日本軍が入城した。第5師団長の野津道貫が大本営へ陥落の報を電報で送ったのは、16日の夕刻である。
左端の刊記には「明治廿七年」とあるが、月日は空いている。印刷と発行は京橋区尾張町の佐々木豊吉と読める。右下の落款は「応需 楊斎」。この摺りはミシガン州のロバート・コールターの旧蔵で、1995年にシカゴ美術館が買い入れた。
- Work Type
- Technique
- 木版多色刷/大判三枚続
- Year Created (image)
- 1894
Artist profile

楊斎延一
明治の絵師・楊斎延一は、日清・日露戦争の浮世絵で名を上げた。《旅順砲台ニ我軍進撃之図》が売り出されたとき、旅順の陸戦はまだ始まっていなかった。戦況を知らせる絵に、起きていない戦いが描かれている。 師は浮世絵師の楊洲周延。姓は渡辺、のちに島田となり、名は次郎といった。明治20年(1887年)頃から作画を始め、美人画や風俗画を手がけた。
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