期間限定 手数料割引中 出品者3% 購入者1%
佐伯祐三

佐伯祐三

さえき ゆうぞうYuzo Saeki
11 Artworks

佐伯祐三(1898〜1928)は、大正末から昭和初めの洋画家。大阪の寺に生まれ、川端画学校から東京美術学校西洋画科へ進み、そのどちらでも藤島武二に学んだ。

転機は1924年、初めての渡仏だった。パリ近郊オーヴェル=シュル=オワーズにフォーヴィスムのヴラマンクを訪ね、自信作の裸婦を差し出すと、「このアカデミックめ!」と一喝された。この一言が佐伯を打ちのめし、そして作り変えた。以後、彼の筆は震えるように速くなり、黒を効かせた重い色で、パリの裏町の壁ばかりを描くようになる。

崩れかけた石壁、めくれたポスター、店先の看板——佐伯はそこに並ぶ文字を、意味を運ぶ記号としてではなく、画面を分ける造形として塗り込めた。〈Restaurant〉〈Bal〉といった綴りが赤や黒の帯になって壁を横切り、剥げた漆喰の質感がそのまま感情の器になる。人けのない街角に、ぴんと緊張が張りつめる。

1926年にいったん帰国し、目白の自宅まわりや下落合の景色を描いた。だが、どんよりした日本の空気は佐伯の絵と噛み合わず、翌1927年、彼は再びパリへ発つ。前田寛治や里見勝蔵、小島善太郎らと「1930年協会」に集ったのも、この前後のことだ。

二度目のパリで、画風はいっそう切迫していく。屋外で描いた最後の絵黄色いレストランのあと、たまたま戸口に現れた郵便配達夫を呼び止め、油彩二点とグワッシュ一点を一気に描いた。制服の青が、荒れた筆の勢いのまま画面を突き上げる。その一枚郵便配達夫が絶筆になった。

結核が進み、精神も崩れていた。自殺を図ったのち、パリ郊外ヌイイ=シュル=マルヌの病院に入り、食事を拒んで、1928年8月、30歳で息を引き取った。妻で画家の佐伯米子は、のちに「あの人は神様だったのではないか」と語っている。その仕事は今、大阪中之島美術館が約50点をまとめて所蔵する。

Own a work by Yuzo Saeki?

List it for sale on Cugira.

List a work
11 works