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山本昇雲

山本昇雲

やまもと しょううんYamamoto Shōun
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『風俗画報』の挿絵を描いた報道画家「山本松谷」は、高知出身の絵師・日本画家、山本昇雲(1870〜1965)の別名である。大黒屋(松木平吉)から出した美人画のシリーズ「いますがた」には、電話や指輪も登場する。

後免町、現在の高知県南国市に生まれ、本名は茂三郎。6歳ごろから柳本洞素に、9歳から河田小龍に絵を学んだ。大阪で陶器の絵付けをしながら絵を続け、明治21年(1888年)に上京した。翌年から南画家の滝和亭に学んだ。

東京では、金銀銅器や指輪のデザイン画、染織物の原図を描いて暮らしを支えた。「いますがた」の着物にも、当時の流行の柄が描き込まれている。

明治27年(1894年)に『風俗画報』へ投稿した「土佐国早乙女図」が掲載され、同誌の絵画部員となるきっかけになったという。松谷(しょうこく)の名で、10年以上にわたり全国各地の事件・風俗・風景を描いた。挿絵は今日の報道写真にあたる役目を担っていた。口絵・挿絵・表紙は合わせておよそ1300点にのぼるとされる。

臨時増刊『新撰東京名所図会』(全64編)の挿絵も担当した。講談社の『明治東京名所図会』(1989年)には、山本松谷の画が載る。

「いますがた」は明治39〜42年(1906〜1909年)の4回にわたって刊行され、50点を超える。「いま姿」「今すがた」とも記される。着物姿の女性が多く、リボンや指輪をつけた女性、レースの衣装の少女、袴姿の女学生も描かれた。煙管を持つ女性、子守りや刺繍をする女性など、江戸情緒の残る風俗もある。

版元の大黒屋は江戸時代から続き、当主は代々松木平吉を名のった。明治には小林清親の光線画を出して知られた。昇雲は明治39年(1906年)に「子供あそび」「四季のながめ」も松木平吉から出した。「子供あそび」の画帖には「昇雲」の署名と「松谷」の印があり、二つの名が一冊に残る。

日本画家としても文展などに美人画や花鳥画を出品した。昭和31年(1956年)には「山本松谷」の名で、『風俗画報』をめぐる『美術手帖』の座談会に出席した。昭和40年(1965年)に満94歳で没し、その年の作とされる色紙も残る。

「最後の浮世絵師」の一人と紹介されてきた。高知県立美術館では2005年、2011年、2015年に展覧会が開かれている。

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