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歌川豊広

歌川豊広

うたがわとよひろUtagawa Toyohiro
8 Artworks

浮世絵の系譜には、時代を騒がせた華やかな名の陰で、次代を静かに準備した絵師がいる。歌川豊広(1773〜1828)はその一人である。本姓を岡島、俗称を藤三郎といい、一柳斎と号した。歌川派の祖・歌川豊春の門に学び、同門には役者絵で一世を風靡した初代歌川豊国がいた。派手な人気を競い合うことをせず、豊広はもっぱら版本の世界へ分け入った絵師である。

豊広の本領は、山東京伝・曲亭馬琴・十返舎一九といった当代一流の戯作者たちが書く黄表紙・合巻・噺本の挿絵にあった。文章の呼吸に画を添わせる読本挿絵の巧者として、その仕事は高く買われている。錦絵にあっても喧噪を追わず、寛政末から文化期の美人画には、すらりとした柳腰と、どこか淋しげで清楚な面ざしがあった。豊国と月ごとを分担した競作両画十二候では、二月・三月・六月・七月を落ち着いた背景描写でまとめ、堅実な画格をよく伝える。縦二枚続という判型の創案に関わり、《江戸八景》《菊畑世界の図》のような作を残した。肉筆画にも佳品があり、量より品位を選んだ画業だといってよい。

この控えめな絵師の名を美術史に確かにつなぎとめているのは、その門から歌川広重が出たことである。初代豊国の門が満員で断られた少年が豊広に入門し、師の「広」の一字を与えられて広重を名乗った。街道の宿場や江戸の名所を、季節と時刻の情感ごと写しとった広重の風景表現は、師・豊広の的確で静かな背景描写に多くを負っている。豊広自身が《江戸八景》で試みた名所への眼差しが、弟子の《東海道五十三次》へと流れ込んだと見るのは、決して牽強付会ではない。子の歌川豊清をはじめ広近・広丸ら門人も継いだが、豊広の名を後世まで運んだのは、やはりこの一番弟子の画業だった。

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