
歌川房種
太陽が欠けてゆく。明治十六年十月三十一日、あるいは二十年八月十九日——暦にただ一度きざまれたその一刻を、歌川房種は錦絵の紙の上にとどめた。《明治十六年十月三十一日太陽金環蝕の図》、《明治廿年八月十九日日食之図》。空を運行する天体を絵に写しとるという思いつきそのものが、旧幕の浮世絵にはなかった手ざわりを帯びている。世相の最先端を、ためらいもなく画題に呼び込んでしまう身の軽さ——そこに房種という絵師の面白さがある。
生まれた年も没した年も、伝わらない。本姓は村井、名は静馬。桜斎・一笑斎・一瓢法斎と、号をいくつも使い分けた。絵は歌川貞房に学んでいる。貞房は三代豊国(歌川国貞)の系につらなる歌川派の絵師で、房種はその末に連なる。
筆をとった年月は安政から明治三十年ごろまで、およそ四十年に及ぶ。江戸のうちは《近江八景》に代表される風景や、舞台のひと幕を写す芝居絵、雅びな源氏絵に手を染めた。《源氏絵合かるた》や《絵本十二月》、軍記物の《源平盛衰記》もこの頃の仕事だ。改元をくぐると、まなざしが一変する。瓦斯灯と煉瓦街を織り込んだ《東京名勝》の開化風俗、両国橋を新時代の相貌でとらえた《東京名勝之内 両国橋》、西南戦争の戦況を刻々と伝える報道錦絵、そして小説や新聞の挿絵、戯作の筆へ。旧幕のやわらかな画題から文明開化と時事報道の絵へと、房種の領分は世の移ろいをそのまま追って広がっていった。明治九年の《文福茶釜》もまた、この移りゆく手の記録である。
作は国立国会図書館や江戸東京博物館、早稲田大学演劇博物館に残る。海を渡った一枚はアムステルダムのファン・ゴッホ美術館にも収まっていて、開化の錦絵を集めた画家の目にも、この軽やかな手はとまっていたらしい。
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