
上村松篁
母は二階にこもって絵を描いていた。近代美人画の頂点に立った上村松園は未婚のまま子を産み、制作に没頭するあまり、幼い松篁に「二階のお母さん」と呼ばれた——上村松篁(1902〜2001)の画業は、この特異な母子の下から始まる。父は松園の師である日本画家鈴木松年で、松篁が父と引き合わされたのは十三歳のときだった。母から色を、時代から写生を受け継いだこの子は、やがて美人画ではなく花鳥画へ、それも古い画題を根本から観察し直す道へ進む。
京都市立絵画専門学校で菊池契月と入江波光に学び、入江からは「概念的なものの見方」を厳しく戒められた。同じ年、西山翠嶂の画塾に入門し、対象を目で捉えて描く写生を骨格に据える。1928年の《蓮池群鴦》で帝展初特選、1933年《金魚釣》で推薦・無鑑査となり、若くして頭角を現した。
松篁の花鳥画は、装飾を削ぎ落とし、鳥や草木を澄んだ余白の中に静かに置く。《星五位》(1959)のゴイサギ、《樹下幽禽》(1966、翌年日本芸術院賞)の禽鳥には、生きものの気配だけを残して画面を張りつめさせる緊張がある。「鳥の生活を理解しなければ鳥は描けない」との信念のもと、自邸に千羽を超える禽舎を築いて生涯観察を怠らず、インドや東南アジア、ハワイまで足をのばして題材を集めた。哲学者・梅原猛はこの世界を「鳥の世界に移された一種の美人画」と評したが、母譲りの気品は、確かに鳥や花の姿に静かに宿っている。
1948年、松篁は日本画の刷新を掲げて山本丘人・吉岡堅二・福田豊四郎らとともに創造美術を旗揚げした。同会はのちの創画会へと連なる。1984年、文化勲章。子の上村淳之もまた花鳥画を継ぎ、禽舎を守り、上村家三代の系譜をなした。奈良の松伯美術館は、松園と松篁の画業を今に伝えている。
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