
テオドール・シャセリオー
テオドール・シャセリオーは、12歳でジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルの画塾に入り、37歳で世を去ったフランスの画家だ。4年をかけて描いたパリの会計検査院の壁画は、今では断片と写真しか残っていない。
カリブ海のサマナ半島に生まれ、幼いうちにパリへ移った。画塾ではアングルがこの少年をとくに可愛がり、「この子は絵画のナポレオンになる」と言ったと伝わる。15歳のとき、ローマへ赴く師に一緒に来るよう誘われたが、家には旅の費用がなかった。
1836年、17歳になる前に官展へ初めて出品し、3等メダルを得た。1839年には水浴のスザンナなどが評判を呼び、初めて公的な注文を受ける。その報酬で、かつて断念したローマへ21歳で渡った。
ローマでアングルと再会したものの、師について兄への手紙に「多くの点で、私たちはけっして分かり合えないだろう」と書いた。師から学んだ線の美しさを保ちながら、ウジェーヌ・ドラクロワの色彩や人物の動きにも刺激を受け、自分の絵を探っていく。
身近な人も繰り返し描いた。二人の姉妹の二人は、姉アデルと妹アリーヌだ。エドガー・ドガはこの絵を19世紀フランスで最も美しい肖像と考えていたと伝わる。
アデルの面影はエステルの化粧にも現れる。1844年には、シェイクスピアの「オセロ」の名場面を15枚のエッチングにした。これがシャセリオーにとって初めてのエッチングだった。「オセロ」のデズデモーナにも、アデルの姿が重なる。
1844年から48年にかけて、会計検査院の大階段を壁画で飾った。この仕事を中断したのは、1846年の春にアルジェリアへ旅したときだけだった。持ち帰った素描や水彩をもとに、現地の人々の暮らしも絵にした。
1853年には古代ローマの浴室が官展で国に買い上げられた。1856年、37歳で世を去った。
壁画のあった建物は1871年に焼け、焼け跡のまま約30年が過ぎた。駅を建てるための取り壊しが始まると、画家のドガやピュヴィス・ド・シャヴァンヌらの委員会が3週間の猶予を得て、描かれた壁をのこぎりで切り出した。
シャセリオーは弟子を取る画塾を持たなかったが、ギュスターヴ・モローとピュヴィスに影響を与えた。モローは彼への敬意を込めて《若者と死》を描いた。
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