
ロバート・キャパ
本名エンドレ・エルネー・フリードマン。ブダペストのユダヤ系の家に生まれ、学生運動への関与でハンガリーを追われるようにベルリンへ渡り、写真の仕事を覚えた。ナチスの台頭でパリに逃れた青年は、ここで恋人であり同志でもあった写真家ゲルダ・タローとともに「ロバート・キャパ」という架空のアメリカ人カメラマンを仕立て上げる。無名の東欧移民の写真では売れないが、伝説の名前ならという苦肉の策だったが、この虚構はやがて本人を追い越して独り歩きしていった。
キャパの名を不動にしたのは1936年、スペイン内戦の戦場で撮った《崩れ落ちる兵士》だ。銃弾を受けた瞬間の兵士の姿を捉えたとされるこの一枚は、戦争写真の代名詞として世界中の雑誌に転載された。撮影の真偽をめぐる論争は今も続くが、それ自体が彼の写真がいかに強く人々の記憶に刻まれたかを物語っている。ゲルダ・タローは翌1937年、取材中の事故で命を落とす。キャパはその喪失を抱えたまま、以後も戦場を渡り歩くことをやめなかった。
第二次大戦では連合軍に従軍し、1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦をオマハ・ビーチの最前線で撮影した。現像過程での事故でほとんどのフィルムが失われ、奇跡的に残った11枚だけが「ザ・マグニフィセント・イレブン」として知られる。ピントの甘さや粒子の粗さがかえって、死と隣り合わせの混乱をそのまま伝える生々しさとなった。「君の写真が十分でないなら、それは君が十分に近づいていないからだ」という彼の言葉は、この生き方そのものだった。
1947年、アンリ・カルティエ=ブレッソン、デヴィッド・シーモア、ジョージ・ロジャーらとともに写真家共同組合マグナム・フォトを設立し、フリーランスの写真家が著作権と編集権を自ら持つという当時としては画期的な仕組みを築いた。戦場だけでなく、パリのカフェで談笑するパブロ・ピカソや、恋人だった女優イングリッド・バーグマンのポートレートなど、平時の人間の表情を捉えた仕事も少なくない。
1954年、インドシナ戦争の取材中、地雷を踏んで死去。40歳だった。戦場写真家として五度の戦争を渡り歩き、最後まで最前線から離れなかったその生涯こそが、彼の残した最大の作品だったのかもしれない。
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