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ピエール=オーギュスト・ルノワール

ピエール=オーギュスト・ルノワール

Pierre-Auguste Renoir
47 Artworks

ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会で知られるルノワールは、人に当たる光を追った印象派の画家である。その絵は、初めから歓迎されたわけではない。1876年、『フィガロ』紙の評者は、女の胴体は腐りかけた肉の塊ではないとルノワールに説明してやってくれ、と書いた。

1841年、リモージュに生まれ、3歳で一家とパリへ移った。少年時代は歌に才能を見せ、作曲家シャルル・グノーに習ったが、家計のために稽古をやめた。13歳で磁器工場の徒弟となり、器に絵を付けながら夜学で素描を学んだ。工房が機械による複製へ切り替えると職を失い、家具や日よけの絵付けで働いた。

画家を志して入ったグレールの画室で、クロード・モネ、アルフレッド・シスレー、バジールと知り合う。1869年にはモネと並んでラ・グルヌイエールを描き、印象主義の技法を試した。一方、1874年の第1回印象派展に出した桟敷席は、弟と職業モデルに役を演じてもらい、アトリエで組み立てた劇場の場面だった。戸外でも室内でも、制作の中心には人がいた。

暮らしを変えた一作が、シャルパンティエ夫人とその子供たちである。夫人は作家たちが集う文学サロンを開いていた。その人脈を使い、1879年のサロンで肖像がよい場所に掛かるように働きかけた。作品は成功し、ルノワールは売れっ子になった。

それでも描き方への迷いは残った。1881年前後、自ら壁に突き当たったと感じ、構図や形をもっと確かなものにしようと模索する。イタリアではラファエロやポンペイの壁画に触れた。大水浴図は、この時期の硬い描き方を代表する作品である。1890年前後からは薄く溶いた色を重ね、印象主義と古典的な構図を調和させていった。

晩年は関節リウマチで手が変形し、助手に筆を持たせてもらう必要があった。筆を指に縛り付けていたという話は誤りで、自分で握れた。大きな絵を描くには、巻き取り式のカンヴァスを使った。明治41年(1908年)に渡仏した梅原龍三郎は、翌年からこの晩年の画家の指導を受けている。1919年、ルノワールはルーヴルを訪れ、自作が古い巨匠たちの絵と並ぶのを見届けた。その年の12月、78歳で世を去った。

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