
オスカー・ココシュカ
オスカー・ココシュカは、心理をえぐる肖像で「絵筆の占師」と呼ばれたオーストリアの画家である。美術史家の夫妻を描いたときは、筆を置いて指で描き、爪で絵具を引っかいて線を刻んだ。「神経が乱れた肖像を描きたい」と、手紙にも書いている。
1886年、ドナウ河畔のペヒラルンに生まれ、翌年に一家でウィーンへ移った。ウィーン工芸学校で学び、教師を通じてウィーン工房の仕事を得る。絵葉書や扇を手がける一方、自作の詩と版画を組み合わせた絵本「夢見る少年たち」を作り、敬愛するグスタフ・クリムトに献じた。
1908年、クリムトたちが開いた美術展に出品した。人物を歪める描き方はスキャンダルを呼び、クリムトの仲間内からも批判が出た。それでもクリムトは「若い世代で最大の才能だ」と擁護したという。展覧会の初日には、出品作すべてに売約済みの札が付いた。
肖像の仕事を支えたのは、建築家のアドルフ・ロースだった。顧客や仲間の肖像を注文し、モデルが買わなければ自分が買い取ると約束した。モデルが買うかどうかを気にせず、ココシュカは描き方を選べた。
恋人アルマ・マーラーとの関係から生まれた《風の花嫁》には、初め「トリスタンとイゾルデ」という題が付いていた。制作を見に来ていた詩人ゲオルク・トラークルが、アトリエで詩「夜」を書いた。その詩にある、つむじ風を意味する「Windsbraut」が、のちに絵の題となった。1912年の《アルマ・マーラーの肖像》は、アルマ本人の手元を経て、いま東京国立近代美術館にある。別れた後には、アルマをかたどった等身大の人形まで作らせた。
第一次世界大戦に志願したココシュカは、頭を撃たれ、銃剣で肺を刺される重傷を負った。療養を経て、1919年にドレスデン美術アカデミーの教授となる。1920年代からは各地を旅し、高い視点から都市を描いた。人の顔に向けていた眼差しが、街全体へ広がったようにも読める。
1934年、ナチスの台頭を受けてプラハへ移った。作品は「退廃芸術」とされ、1938年にはイギリスへ逃れた。1953年にはスイスのヴィルヌーヴへ移り、同じ年にザルツブルクで「見ることの学校」と呼ぶ夏期美術アカデミーを始めた。顔の奥を探ってきた画家は、晩年、見ることを教える側に立った。1980年、モントルーで93歳で没した。
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