
中澤弘光
なかざわ ひろみつNakazawa Hiromitsu
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屋外の光にひたされた女がひとり、物思いにふけっている——1909年の第3回文展で最高賞に選ばれた《おもひで》は、そんな一枚だった。頬にも衣にも戸外のやわらかな陽が回り込み、輪郭は日ざしに溶けかけている。中澤弘光(なかざわ ひろみつ、1874〜1964)が生涯手放さなかったのは、この明るい外光の描き方だった。
東京・芝に旧佐土原藩士の子として生まれ、13歳で曽山幸彦の画塾に入る。師の急死後は堀江正章に、東京美術学校西洋画選科を出てからは黒田清輝に学んだ。黒田がフランスから持ち帰った外光派の色調が、そのまま中澤の血肉になっている。《夏》(1907)や《まひる》(1910)でも、人物は屋根の下ではなく、まぶしい戸外に置かれた。
中澤は油彩の中に閉じこもらなかった。木版口絵や装丁、《源氏物語》の挿絵に筆を伸ばし、金尾文淵堂などから新版画を送り出す。作家の田山花袋と組んで『温泉周遊』(1922)を編むなど、日本各地を歩いてはスケッチを重ねる旅の画家でもあった。宮崎の浜で網を引く《海苔とる娘》(1913、宮崎県立美術館)は、その足で拾った一枚だ。
白馬会に始まり、1912年の光風会、1924年の白日会創立と、洋画壇の団体運動の要にいつも中澤がいた。1930年に帝国美術院会員、1944年に帝室技芸員、1957年に文化功労者。明治から昭和まで、日本の洋画を内側から支えつづけた画家だった。
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