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森

森村宜稲

もりむらぎとうMorimura Gito
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維新から半世紀を経てなお、平安の絵巻へさかのぼろうとした画家がいた。森村宜稲(1871〜1938)——明治4年12月26日、名古屋梅園町に儒者森村宜民の子として生まれ、幼名を悌二といった。号は雲峰、のちに稲香村舎。学問の家に育った素養が、やがて古画の考証へと向かう地力になった。

はじめ木村雲渓に就いて四条派の写生を学び、次いで日比野白圭、木村金秋に大和絵を修めた。ここで宜稲は自らの水脈を見いだす。田中訥言に始まる復古大和絵派——衰えた土佐の伝統を平安古絵巻の研究によって甦らせようとした一派の系譜を継ぎ、これを世に紹介する役目を負ったのである。同時に彼が私淑したのは、流派を越えた雪舟と狩野探幽であり、晩年にはふたたび訥言と浮田一蕙の古画に沈潜した。学ぶべき師の名を重ねながら、宜稲の眼は一貫して「古きものの静けさ」を追っていた。

歴史画、花鳥、風景に画境を拓いたが、彼の本領はむしろ筆を切り詰めた省筆の小品にあった。線を惜しみ、余白に情景を語らせる——古雅を現代の淡い静寂へ翻す、その加減にこそ宜稲らしさがあった。長良川の《鵜飼の図》のような主題では、闇と篝火のあわいを最小限の墨で捉えてみせる。日本美術協会に出品を重ねて審査員となり、文展・帝展に入選、昭和6年には帝展推薦に挙げられた。サンフランシスコ万国博覧会では《奈良祭》が金牌を受け、日独・米国・仏国・日満の各展にも作を送った。明治神宮外苑・聖徳記念絵画館の壁画《農民収穫御覧》も、この静かな筆が国家的画事に応えた一例である。

名古屋に「稲香画塾」を開き、小寺稲泉、喜多村麦子、堀尾実ら多くの門人を育てた。妻の森村紫峰は宜稲から土佐派の画法を受け継ぎ、子の森村宜永もまた筆を継いだ。復古大和絵という、時流に逆らって古を仰いだ営みは、こうして家と塾のなかに細く長く伝えられた。1938年10月4日、急性肺炎により没す。享年68。

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