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ミケランジェロ・ブオナローティ

ミケランジェロ・ブオナローティ

Michelangelo Buonarroti
13 Artworks

ミケランジェロ・ブオナローティ(1475〜1564)が署名を刻んだ作品は、24歳で仕上げた《ピエタ》ただ一つである。《ダビデ》、システィーナ礼拝堂の天井画、最後の審判で知られる、イタリアの盛期ルネサンスの彫刻家・画家・建築家・詩人である。名を刻んだのは、聖母の胸にかかる帯だった。

13歳でフィレンツェの画家ドメニコ・ギルランダイオの工房に入り、翌年にはメディチ家の庭で古代彫刻を手本に学んだ。彫刻家としての自覚は、生涯変わらなかった。

《ダビデ》は、40年前に別の彫刻家が手をつけて放り出した大理石から彫った。大聖堂の高い壁の上に置くはずだったが、1504年に完成すると、ヴェッキオ宮殿前のシニョリーア広場に据えられ、自治都市フィレンツェの象徴とみなされた。同じころ描いた聖家族(トンド・ドーニ)は、確かに本人の手と分かる唯一の板絵である。

1505年、教皇ユリウス2世から、40体を超える彫像で飾る墓を頼まれた。教皇の没後、計画は何度も縮められ、1545年にモーセ像を中心とする形で止まった。弟子のコンディヴィは、この墓に振り回された年月を「墓廟の悲劇」と呼んだ。

その途中の1508年、システィーナ礼拝堂の天井画を命じられた。気は進まなかったが、1512年までにほとんど独力で描き上げた。リビアの巫女のための習作では、天井に描く巫女のために若い男のモデルを写している。

立ったまま頭を後ろへ反らせて描く苦しさは、自分の姿の素描を添えた詩に記した。「わたしはもう瘤ができた」自筆詩稿として、その紙が残る。仰向けに寝て描いたという話は、別の伝記作者の想像とされる。

1534年にローマへ移り、同じ礼拝堂の祭壇の壁に最後の審判を描いた。生涯に300編を超える詩を書き、詩人ヴィットリア・コロンナとも詩を贈り合った。71歳でサン・ピエトロ大聖堂の建築主任を頼まれると、建築は本来の仕事ではないと断ったが、教皇の命令で引き受けた。

ヴァザーリの1550年の「美術家列伝」で、存命の芸術家として伝記が載ったのはミケランジェロだけだった。晩年もピエタを彫り続け、《ロンダニーニのピエタ》には没する6日前まで手を入れていた。1564年2月18日、88歳でローマで没した。遺体は商品の荷としてひそかにフィレンツェへ運ばれ、サンタ・クローチェ聖堂に葬られた。

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