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マックス・エルンスト

マックス・エルンスト

Max Ernst
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ケルン近郊ブリュールの生まれ。父は聾学校の教師で日曜画家、家庭には敬虔なカトリックの空気が濃く漂っていたが、その反動もあってか、エルンストは生涯を通じて教会と父権への皮肉を作品にこめ続けた男になる。ボン大学で哲学と心理学を学び、フロイトの精神分析にも触れたことが、のちのコラージュや擦り出し技法における「無意識をどう物として出現させるか」という探求の土台になった。

第一次大戦で砲兵として従軍し、帰還後の1919年、ケルンでハンス・アルプらとダダの活動を始める。古い博物学書や通信販売カタログの挿絵を切り貼りする手法は、彼が独学で身につけたもので、《百頭女》(1929年)や《慈善週間》(1934年)といったコラージュ小説はこの延長線上にある。1922年にパリへ移り、アンドレ・ブルトンと出会ってシュルレアリスムの中核メンバーとなった。

木の床の木目に紙を当てて鉛筆でこすり出すフロッタージュ、キャンバスにも応用したグラッタージュ、絵具を垂らした振り子で偶然の線を描くデカルカロマニーなど、エルンストが編み出した技法はどれも「手の意図を裏切ることで無意識を呼び出す」という一点に貫かれている。《雨の後のヨーロッパII》(1942年)は、そうした偶然性の技法が戦争の廃墟を予言するような荒涼とした風景として結実した代表作だ。鳥をモチーフにした分身「ロプロプ」もエルンストの絵にたびたび現れ、自伝的な神話をつくり上げていった。

私生活も波乱に富み、マックス・ジャコブとは別に、ポール・エリュアールの妻ガラとの三角関係、画家ドロテア・タニングとの結婚など、常に恋愛と創作が絡み合っていた。ナチスに「退廃芸術」の烙印を押されてフランスで抑留され、1941年にペギー・グッゲンハイムの助けでアメリカへ亡命。ニューヨークでは亡命シュルレアリストの輪の中心にいながら、若いアメリカの画家たちにも技法上の刺激を与え、のちの抽象表現主義の萌芽に静かに関わった存在でもある。晩年はフランスに戻り、彫刻にも力を注ぎながら1976年にパリで没した。

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