
黒田清輝
法律を学ぶつもりで海を渡った青年が、パリで絵筆に持ち替える。黒田清輝(くろだ せいき、1866〜1924)がラファエル・コランのアトリエの扉を叩いたのは1886年、二十歳のときだった。薩摩国鹿児島に生まれ、伯父で子爵の黒田清綱の養子として東京で育ち、1884年に渡仏したが、法律の講義よりも絵に惹かれて進路を変えた。コランから受け継いだのは、戸外のやわらかな光を、紫がかった影の諧調でとらえる外光派の眼である。
パリ郊外グレー・シュル・ロワンの村に通っては、農家の娘マリア・ビヨーを座らせて読書(1891)を描き、裸婦の朝妝をサロンに出した。1893年に帰国すると、褐色を基調とする旧派の「脂派」に対して、明るい紫の影を大胆に置く黒田らの画風は「紫派」と呼ばれた。1895年、京都で開かれた内国勧業博覧会にこの朝妝を出品したときには、裸体画の是非をめぐる賛否の論争を巻き起こしている。
箱根芦ノ湖の水辺に、団扇を手にした浴衣姿の妻照子を座らせた湖畔(1897)では、青と白を基調にした涼やかな光が水面と大気を満たし、フランス仕込みの外光表現が日本の風土に静かに溶け込んでいる。金地に三人の裸婦を配した寓意画智・感・情(1899)、往時の物語を大画面に展開した昔語り——後者は戦災で焼失した——など、裸体や歴史主題にも果敢に挑んだ。
1896年、パリで机を並べた久米桂一郎らと白馬会を興し、同年から東京美術学校西洋画科の教壇に立って、青木繁や藤島武二ら次代の画家を育てた。1910年には洋画家として初の帝室技芸員となり、のちに帝国美術院長、貴族院議員も務めている。没後、その遺志と遺産は美術研究の拠点づくりに充てられ、上野の黒田記念館には湖畔智・感・情読書といった代表作が今も納められている。
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