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キース・ヴァン・ドンゲン

キース・ヴァン・ドンゲン

Kees van Dongen
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ロッテルダム郊外デルフスハーフェンの粉屋の息子が、パリで一世を風靡する肖像画家になるまでの道のりは、絵の具そのものよりも派手だった。1897年に渡仏したヴァン・ドンゲンは、モンマルトルの安宿バトー・ラヴォワールで若きパブロ・ピカソと隣り合わせに暮らし、新聞の風刺画や挿絵で糊口をしのぎながら絵筆を握り続けた男だ。転機は1905年のサロン・ドートンヌ。アンリ・マティスやアンドレ・ドラン、モーリス・ド・ヴラマンクらとともに、原色を叩きつけたような絵が「檻の中の野獣たち(カージュ・オ・フォーヴ)」と評され、フォーヴィスムの名が生まれた展示室に彼の作品も並んでいた。

ヴァン・ドンゲンの色彩は、他のフォーヴ画家たちよりもいくぶん危険な匂いがする。パリのキャバレーやサーカス、娼婦たちを描いた初期作は、けばけばしいピンクと黒を対比させ、女たちの目を意図的に肥大させ、視線そのものを絵の主題にしてしまう独特の手つきを見せた。歌姫を描いた《モジェスコ、ソプラノ歌手》(1908年)では、羽根飾りとドレスの緋色が舞台照明のようにキャンバスから発光し、見る者を一瞬で劇場の熱気の中に引きずり込む。

第一次大戦をはさんで彼のキャリアはもう一段跳ねる。1920年代のパリは彼にとって独壇場だった。社交界の貴婦人や女優、実業家夫人たちが先を争って肖像を依頼し、ヴァン・ドンゲン自身もモンマルトルのアトリエで仮装舞踏会を開いては新聞の話題をさらう「時の人」になっていく。細く伸びた首、切れ長に強調された瞳、退廃的なまでに優雅な指先——彼の肖像画は写実というより、モデルを彼女自身よりも彼女らしく見せる誇張の技術だった。この時期の代表作が《コクリコ(ひなげし)》(1919年)で、燃えるような赤い花と白いドレスの女性を配した構図は、フォーヴィスムの荒々しさが洗練された社交界の意匠へと変貌したことを物語っている。1935年の《大天使のタンゴ》に至っては、金と黒のドレスをまとった二人の踊り手が画面いっぱいに旋回し、彼が生涯手放さなかった舞台的な演出感覚がよく表れている。

1929年にフランス国籍を取得し、モナコやコート・ダジュールの社交界にも出入りするようになった晩年は、批評家からは「肖像画家に成り下がった」と辛口に評されることもあった。若き日にフォーヴィスムの実験に立ち会った画家が、金持ちの似顔絵描きに転じたという皮肉である。しかし彼の肖像画がただの追従だったわけではない。誇張された色彩とデフォルメされた眼差しは、20世紀前半のパリという都市そのものが持っていた虚飾と享楽を、誰よりも正確に写し取っていた。1968年、モナコで91年の生涯を閉じるまで、彼は絵筆を置かなかった。

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