
葛飾応為
かつしか おういKatsushika Oi
3 Artworks
江戸の絵師で、光そのものを主役にした者はほとんどいない。葛飾応為(生没年不詳、1800年頃〜1857年以降)——葛飾北斎の三女お栄は、その例外だった。代表作吉原格子先之図では、張見世の格子から漏れる提灯の光が夜道を切り裂き、人物はほとんど影絵になる。西洋画を思わせる明暗のなかで光源を画面の内側に置くこの大胆さは、当時の日本の絵ではきわめて珍しい。
一度は絵師の南沢等明に嫁いだが、夫の絵の拙さを笑って離縁されたと伝わる。以後は父の工房に戻り、生涯を制作の傍らで過ごした。北斎は娘を「アゴ」と顎の形で呼び、応為の号は、父を呼ぶ「おーい」の声から取ったとも、父に「おーい」と呼ばれたからともいう——伝えられる逸話のどれもが、この親子の突き放したような親密さを語る。
腕は父も認めた。「余の美人画も、阿栄におよばざるなり、彼は妙に画きて、よく画法にかなへり」——北斎の言と伝わる。晩年の北斎の肉筆画に、実は応為の筆になるものが少なくないのではないかと論じる研究者もいる。
確実な真筆は吉原格子先之図《月下砧打美人図》三曲合奏図など、肉筆画で十数点にとどまる。安政4年(1857年)の夏、絵を頼まれて出かけたきり、応為の消息は途絶えたと伝わる。行年も墓所も分からない。残された数点の光の絵だけが、この絵師の伝記のすべてである。
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