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関

関野凖一郎

せきの じゅんいちろうJun'ichirō Sekino
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青森市の肥料問屋の子として育った関野凖一郎(1914〜1988)は、中学生のころ、同郷の今純三から銅版画の手ほどきを受けた。腐食液の匂いと、針が銅の面をひっかく感触が、少年の手にそのまま残ったのだろう。以後の関野は、木版・銅版・石版のあいだを一人で行き来しつづける。

1939年に上京すると、創作版画運動の中心にいた恩地孝四郎の周辺に身を寄せ、版画研究会「一木会」に加わった。絵師・彫師・摺師が分業した近世の浮世絵とちがい、構想から彫り、摺りまでを自分の手でやり切る——この自刻自摺が、関野の仕事を貫く一本の芯になった。木版の面と銅版の線を、主題に応じて選び分けるところに、この作家らしさが出る。

人の顔を版に刻むことに、関野はとりわけ執着した。師を写した木版《恩地孝四郎像》(1952)では、木肌のかたさのなかに表情の陰りを沈み込ませている。1950年代には杉並の自宅を「火葬町銅版画研究所」と名づけ、駒井哲郎らと銅版画を磨き合う場をこしらえた。

生涯の主題となった《東海道五十三次》は、1959年から1974年まで、十五年をかけて彫り継いだ連作だ。広重の宿場を近世の地誌としてではなく、現代を生きる者の目で捉え直している。ニューヨークを扱った三部作で1961年のリュブリアナ国際版画展特別賞、この五十三次の連作で1975年に芸術選奨文部大臣賞を受けた。作品は東京国立近代美術館や青森県立美術館に収まっている。

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