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石川寅治

石川寅治

いしかわとらじIshikawa Toraji
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洋画家の石川寅治(1875〜1964)は、59歳で裸婦の木版画に取り組んだ。自ら版元となって出した連作、裸女十種は、発表のとき警察が発禁にしようとするほど物議をかもした。

高知に生まれた石川は、明治24年(1891年)、満15歳で洋画を学ぶために上京した。洋画家の小山正太郎が開いた画塾「不同舎」に入り、のちには師が浅草のパノラマ館に描く日清戦争の大画面を、助手として手伝っている。若い頃から、展覧会に出す絵だけでなく、パノラマの大画面の制作にも携わっていた。

明治34年(1901年)、満谷国四郎・吉田博・中川八郎らと太平洋画会を結成。翌年には絵の研究のためアメリカへ渡り、持っていった水彩画の展覧会をボストンなどで開いた。その後、ヨーロッパ各国の美術館を見て回り、明治37年(1904年)に帰国した。

初期には女性像を多く描いたが、次第に港や船を好んで描くようになり、画調も印象主義的な明るさを帯びていった。大正2年(1913年)の第7回文展では《港の午後》が二等賞を受けた。琉球や台湾にも写生に出かけ、台湾では2か月で油絵を30余点描いている。

長い画歴を重ねた石川が裸女十種を手がけたのは、昭和9〜10年(1934〜35年)である。彫りは山岸主計が担い、浮世絵の技法を使って、背景には雲母も摺り込んだ。題材は居間や浴室で過ごす日本の女性たちで、室内にはアール・デコの家具や布地も描き込まれている。古くからの版画の手仕事に、1930年代の暮らしを載せた連作だった。その後に出した裸婦の版画は、昭和11年(1936年)の1枚だけである。本人は、自分を版画家ではなく洋画家と考えていた。

絵を描く傍ら、図画を教える仕事も長く続けた。大正7年(1918年)からは師の後を継いで東京高等師範学校の講師となり、15年間、図画専修科を受け持った。戦時中は海軍省の嘱託として戦争記録画を描き、昭和18年(1943年)には資料を集めるためラバウル方面へ赴いている。

戦後の昭和22年(1947年)、太平洋画会を離れ、示現会を結成して代表となった。昭和28年(1953年)には、洋画界と教育界への長年の功績により日本芸術院恩賜賞を受けた。晩年も海や港を描き、昭和39年(1964年)に89歳で世を去るまで、日展への出品を続けた。

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