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アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

Henri de Toulouse-Lautrec
78 Artworks

南仏アルビの伯爵家に、跡取りとして生まれた。ただし家督は継いでいない。父アルフォンス伯が1913年まで生きたのに対し、本人が1901年に36歳で死んだからである。

骨がもろい先天性の病を抱えていた。13歳で右、14歳で左の大腿骨を折る。よく「骨折して脚が伸びなくなった」と語られるが順序は逆で、四肢だけが伸びず体幹は普通に育つのはこの病の現れ方であり、骨折はその症状のほうである。成人時の身長はおよそ1.5メートル。乗馬も狩猟もできなくなったが、絵は残った。祖父も父も叔父も絵の巧い素人で、この家では素描が狩りや馬と並ぶ手すさびだったからだ。最初に鉛筆を握ったのは10歳ごろ、骨を折るより前である。長い療養のあいだ、父の友人で耳の聞こえない馬の画家ルネ・プランストーが傍らにいた。

1882年にパリへ出てレオン・ボナ、続いてフェルナン・コルモンの画塾へ通い、コルモンのアトリエでフィンセント・ファン・ゴッホと出会う。1884年からモンマルトルに住みつき、踊り子ラ・グーリュや歌手アリスティード・ブリュアンの出るムーラン・ルージュに通いつめた。開店の年にはフェルナンド・サーカスの曲馬乗りが店に買われてロビーに掛かり、以後は毎晩取ってある席からムーラン・ルージュにてのような客席の絵を描いている。娼館にも住み込み、ムーラン街のサロンにてでは働く女性たちを蔑みも美化もせず、顔を一人ずつ描き分けた。

構図の大胆な切り取りと平坦な色面は、エドガー・ドガの斜め俯瞰と、北斎や広重の浮世絵から吸収したものだ。1891年のムーラン・ルージュ:ラ・グーリュは紙3枚を継いだ高さ約189センチのポスターで、数千枚が街に貼られ、彼の名を一夜で知らせた。街角に貼られて破られていく紙が美術になり得ると証明したのは、ロートレックが最初だと言っていい。

酒と梅毒が体を削った。1899年には衰弱してヌイイの療養所に入れられ、そこで下絵なしに記憶だけで描いたサーカスの一群が医師を納得させて退院につながる。1901年9月9日、母の待つマルロメ城で没した。1922年、母アデールと画商モーリス・ジョワイヤンらの署名で遺作がアルビ市に寄贈され、いまのトゥールーズ=ロートレック美術館になっている。

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