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エクトール・ギマール

エクトール・ギマール

Hector Guimard
1 Artworks

パリの地下鉄の入口に立つと、鋳鉄が植物のようにうねっているのに気づく。あの緑がかった蔓の意匠、貝殻を思わせるランプの覆い——「メトロポリタン」の文字が絡みつくアーチ状のゲートを設計したのがギマールである。今日パリの記憶そのものになっているこの造形は、ひとりの建築家が街の地下から芽吹かせたアール・ヌーヴォーの結晶だった。

パリ生まれ。国立高等装飾美術学校とエコール・デ・ボザールで建築を修めた後、1895年にブリュッセルへ旅し、ヴィクトール・オルタが手がけたばかりのタッセル邸を目にする。石や鉄が直線を捨てて液体のように波打つその空間に打ちのめされたギマールは、帰国後まもなく着手していた集合住宅「カステル・ベランジェ」の設計を根本から描き直した。非対称なファサード、緑青色の鉄扉、うねる手すり——1898年に完成したこの建物は物議を醸しながらもパリ市の建築コンクールで賞を得て、彼を一躍時代の顔にした。

1900年のパリ万博を機に市が地下鉄網の整備を進めると、駅の入口という都市の顔をギマールが任される。彼は建材にガラスと鋳鉄を選び、量産可能な部材を組み合わせながらも一つ一つが呼吸しているような有機的な曲線を生み出した。当初は「装飾過多」「グロテスクだ」と酷評もされたが、今では160基近くが現存し、パリという都市そのもののロゴマークのような存在になっている。

建築家である以上に、ギマールは家具や金具、壁紙の柄にいたるまで空間全体を統べる「全体芸術」の実践者だった。既製品の量産化にも積極的で、自らの意匠を型として複数の邸宅や店舗に展開する姿勢は、当時のパリの建築家としては異例だった。1909年、アメリカ人画家アデリーヌ・オッペンハイムと結婚し、私邸オテル・ギマールを新居として建てる。だが第一次大戦後、直線と機能を重んじるモダニズムが台頭すると、彼の曲線美は急速に時代遅れと見なされていった。ユダヤ系だった妻とともに1938年、ナチスの脅威を逃れてニューヨークへ移住し、1942年に同地で没した。再評価が進むのは戦後しばらくしてからのことである。

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