
チャールズ・レニー・マッキントッシュ
グラスゴーの石工の家に生まれ、十代半ばから建築事務所で働きながらグラスゴー美術学校の夜間部に通った。昼は製図、夜は絵筆という生活のなかで出会ったのが、のちに妻となるマーガレット・マクドナルドとその姉フランシス、そして友人ハーバート・マクネアだった。「グラスゴー・フォー」と呼ばれるこの四人は、直線と曲線、幾何学と花の意匠を独特の緊張感で組み合わせる作風を育て、ケルト的な渦巻きと日本の意匠から得た余白の感覚を融合させていった。
代表作《グラスゴー美術学校》は建築家としての彼を決定づけた仕事で、東棟の重厚な石壁と図書館棟の垂直に伸びる木の梁が、装飾を削ぎ落としながらも詩情を失わない空間をつくり出している。《ヒルハウス》では住宅そのものを一つの総合芸術とみなし、外観から家具、照明器具、暖炉の意匠に至るまで自ら設計した。《ウィロー・ティールームズ》では椅子の背もたれ一本にまで幾何学的な様式を貫き、喫茶という日常の場を舞台美術のように仕立てている。高い背もたれの椅子や、白と紫を基調にした室内装飾は、彼の名を語るときに真っ先に思い浮かぶ像だろう。
イギリス本国では長らく評価が定まらず、むしろウィーン分離派の面々——グスタフ・クリムトらが名を連ねた第八回展にグラスゴー・フォーの作品が招かれたことをきっかけに、大陸で先に熱狂的な支持を得た。装飾美術における線の純度という点で、彼らの仕事は分離派の探求と響き合っていたのである。しかし故郷での不遇と晩年の困窮は重く、1920年代には建築の仕事がほとんど得られず、南フランスに移り住んで水彩の花や風景を描く日々を送った。1928年、ロンドンで喉頭癌のため60歳で世を去る。死後、モダニズム建築とアール・ヌーヴォーの橋渡し役として再評価が進み、今日ではグラスゴーの街そのものが彼の名を冠した観光の目的地となっている。
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