
会津八一
あいづやいちAizu Yaichi
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新潟の商家に生まれ、早稲田で坪内逍遥の教えを受けながらも、心はいつも奈良に向いていた。夏になると東大寺や唐招提寺、秋篠寺の古仏を訪ね歩き、その感動を漢字仮名交じりではなく、あえてすべてひらがなで綴る独自の歌風で刻みつけた。「すゐえんの てりみちたれば ふるでらの まがきの しだも ひかりそめたり」――句読点も分かち書きもなく、一息に流れる文字列が、奈良の光そのものを写し取るように読む者の呼吸を奈良の時間に合わせてしまう。号は秋艸道人、のちに渾斎とも称した。
歌人としてだけでなく、書家としての名も高い。専門の師について習った形跡はなく、独学で確立したという無骨で骨太な筆致は、後年「会津八一の書」として一つの流儀を成すまでになった。額や色紙に揮毫された文字は、飾り気のない太い線がそのまま人柄を表しているようで、今も奈良や新潟の旅館・料亭の看板に残るものが少なくない。
学者としての顔も忘れがたい。早稲田大学で東洋美術史・考古学を講じ、法隆寺や東大寺の仏像、経典の実証的な研究を積み重ね、当時まだ体系だっていなかった日本美術史・仏教美術研究の基礎を築いた一人に数えられる。歌集『南京新唱』『鹿鳴集』は奈良への愛惜そのものであり、学問と詩情がひとつの筆から同時に生まれていたことを物語る。戦時中に郷里新潟へ疎開し、戦後もそこで教育・文化活動に携わり、1956年に没した。新潟市には会津八一記念館があり、奈良を想い続けた生涯の軌跡を今に伝えている。
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