佐藤忠信・鳥居強右衛門・浅岡

月岡芳年の皇国二十四功(こうこくにじゅうしこう)には、佐藤四郎兵衛忠信(さとうしろうびょうえただのぶ)、鳥居強右衛門(とりいすねえもん)、伊達家の乳人(めのと)浅岡(あさおか)が登場する。

忠信は源義経を逃がすために追手と戦った武士、強右衛門は武田軍に包囲された長篠城から援軍を求めに走った足軽である。浅岡は伊達家のお家騒動を題材にした芝居の人物で、幼い主君を守るため、わが子の死を敵の前で耐えた。

雪中で刀を振るう佐藤忠信

佐藤忠信は、源義経に仕えた武士である。

平家を滅ぼした後、義経は兄の源頼朝と対立し、都を追われた。大和国の吉野山へ逃れた義経が僧兵に襲われたとき、忠信は主君を先へ行かせ、自分一人で追手を引き受けたと『義経記』などに伝えられている。

芳年の絵では、忠信が雪の中で刀を抜き、大きく身を躍らせている。背には矢を負い、足元からは雪が舞い上がる。敵の姿は描かれていないが、一人で追手に立ち向かった忠信の激しい動きが画面いっぱいに収められている。

月岡芳年
皇国二十四功 佐藤四郎兵衛忠信
1881 木版多色刷

忠信の名は、人形浄瑠璃や歌舞伎の《義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)》でも知られている。ただし、静御前に付き従う「狐忠信」は、本物の忠信に化けた狐である。親狐の皮で作られた初音の鼓を慕い、忠信の姿を借りて静御前を守る人物で、芳年が描いた武士の忠信とは別の物語になる。

長篠城から岡崎へ走った鳥居強右衛門

1575年、長篠城(ながしのじょう)は武田勝頼の大軍に包囲され、落城寸前まで追い詰められていた。城主の奥平信昌は、城の危急を知らせ、援軍の見込みを確かめるため、足軽の鳥居強右衛門を岡崎城へ向かわせた。

強右衛門は川を下り、武田軍の包囲を抜けて岡崎へ到着する。そこで織田信長と徳川家康の連合軍が出陣するとの約束を得ると、城内の仲間に知らせるため、すぐに長篠城へ引き返した。

しかし帰路で武田方に捕らえられる。武田軍は強右衛門に、「援軍は来ないと城内へ伝えれば、命を助けて領地も与える」と持ちかけた。

強右衛門は従うふりをして、長篠城から声の届く場所まで連れて行かれた。だが、城内へ向かって叫んだのは、援軍がすぐ近くまで来ているという知らせだった。その言葉に城兵は奮い立ち、援軍の到着まで城を守り続けた。

役目を果たした強右衛門は、長篠城から豊川を挟んだ対岸の篠場野へ連行され、磔にされたと伝えられている。

鳥居強右衛門を描いた絵では、ふんどし姿で磔にされた最期の場面がよく知られている。芳年が《皇国二十四功》に描いたのは、援軍を求める使者として進む強右衛門の姿である。

月岡芳年
皇国二十四功 鳥居強右衛門勝高
1895 木版多色刷

わが子の死に耐えた浅岡

伊達家の乳人浅岡では、乳人が亡くなった幼子を抱いている。

月岡芳年
皇国二十四功 伊達家の乳人浅岡
1894 木版画 35.4 × 23.8 cm
On sale¥48,000

浅岡は、伊達家のお家騒動をもとにした芝居の人物である。芳年の題では浅岡とされているが、その物語は歌舞伎《伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)》に登場する乳人・政岡(まさおか)の話として広く知られている。

政岡が守っているのは、幼くして家督を継いだ鶴千代(つるちよ)である。家中には鶴千代を殺して家を乗っ取ろうとする一味がいたため、政岡は毒を盛られないよう、自ら食事を用意していた。自分の子である千松(せんまつ)にも、鶴千代を守るよう日頃から教えていた。

そこへ、敵方の栄御前(さかえごぜん)が見舞いの菓子を持って現れる。政岡は毒を疑うが、身分の高い相手から贈られた品を、その場で拒むこともできない。

すると千松が菓子へ駆け寄り、鶴千代より先に口にした。菓子には毒が仕込まれており、千松はその場で苦しみ始める。

毒入りの菓子を用意した側にいた八汐(やしお)は、千松が苦しむのを見ると懐剣を抜き、政岡の目の前で刺し殺した。芝居では、菓子に毒が入っていたことを知られないための行動とされている。

それでも政岡は泣かず、顔色も変えなかった。鶴千代を抱いたまま、敵方の者たちが立ち去るまで耐え続ける。

その姿を見た栄御前は、政岡の考えを取り違えた。政岡は以前から鶴千代と千松を入れ替えており、今殺された子が本物の鶴千代、目の前に残っている子が政岡の実子なのだと思い込んだのである。

つまり栄御前は、政岡も自分の子を当主にするため、お家乗っ取りに加わっていると勘違いした。そのため、陰謀に参加する者たちの名が書かれた連判状を政岡へ渡してしまう。

敵方が去り、一人になった政岡は、初めて千松を抱いて泣く。主君を守れという教えに従った息子を褒め、その死を嘆く場面は、《伽羅先代萩》の大きな見せ場となっている。

忠信と強右衛門は、戦場や城外を駆けた。浅岡は御殿の一室から動かず、敵が去るまで涙を見せなかった。芳年は、まったく異なる三つの場面を《皇国二十四功》に収めている。

月岡芳年

Tsukioka Yoshitoshi

1839–1892

Images

  • 月岡芳年《皇国二十四功 佐藤四郎兵衛忠信》 — パブリックドメイン(国立国会図書館デジタルコレクション) / 国立国会図書館デジタルコレクションSource
  • 月岡芳年《皇国二十四功 鳥居強右衛門勝高》 — パブリックドメイン(国立国会図書館デジタルコレクション) / 国立国会図書館デジタルコレクションSource